つづりストしませんか! 作文募集サイト

今年は戦後70年。敗戦時に国民学校1~6年だった方の、戦争体験作文を募集中です。




 「早く起きて、逃げるよ、早く早く……」と叫ぶ母親の声に跳び起きた僕は、寝巻きで、枕元の防空頭巾だけを被って家を飛び出しました。

 近くの小さな丘の上にある横穴式防空壕に逃げ込むために、無我夢中でかけ上がったのです。小雨模様、真夜中なのに、米軍の照明弾は満月の夜のようにあたりを明るくし、空襲警報のサイレンはけたたましく鳴り響いていました。

 昭和20年6月28日から29日に日付が変わる時間頃から明け方まで、佐世保は大空襲を受けました。梅雨空の真夜中、B29の大編隊は2波にわたって焼夷弾を投下し、佐世保の中心街と周辺の住宅地は火の海となり、29日の明け方には全て焼きつきたのです。

 B29の爆音と共に、焼夷弾が雨のように落ちてきました。少し離れた丘の上にいた国民学校6年生だった僕は、少々生意気なところが出始めていたのでしょう。怖ろしさ半分、見たさ半分で防空壕の外に立っていたら、目の前5~6メートルの所に外れ焼夷弾が一発落ちてきて火炎を吹き出し、びっくり仰天。火の粉を払いながら防空壕に飛びこみました。一番最後に入った僕は、ドアのすぐそばに座っていたので、住宅の燃える外からの熱気ですごく熱かったのを覚えています。

 ほどなく、外からドアを激しく叩く音。「開けてくれ! 入れてくれ!」と叫ぶ3、4人の人の声。僕は目の前にいた警護のおじさんらしい人と目を合わせて思案しました。その時、防空壕の中程から、「開けるな! 開けたら俺たちも死んでしまうぞ!」と大声が響きました。「開けてくれ」「開けるな」。結局、ドアは開けませんでした。  その人たちはあきらめたらしく、去って行きました。

 あの人たちはどうしただろうか? 恨んでいるだろうな、怒ってるだろうな、かわいそうに、などと考えているうちに、いつしか眠ってしまったようです。

 朝の光が差し込んで目が覚め、外の気配も静かだったので、おそるおそるドアを開け防空壕から出てみました。そこに見えたものは、僕の家はもちろん、住んでいた町全体が跡形もなく消えうせ、一面が焼け野が原の廃墟となっていました。くすぶる煙を見ながらただぼう然と立ちすくんでいました。もう燃えるものが何もなくなって鎮火していたのです。

 母親たちが相談して、佐世保市郊外の早岐(はいき)に住む親せきを頼って行くことになりました。10キロメートル弱を歩きました。

 途中、町中を通り抜けるまで、何人の犠牲者を見たことでしょう。

 ある者は丸焦げで道端に転がり、焼夷弾の直撃を受けて内臓むき出しの血だらけの人、ある者は川に浮かんでいたりで亡くなっていました。私たちは下向きで通り過ぎるしかありませんでした。そんななか、佐世保駅近くにある大きな教会の周りだけが空襲にあわず、元のままの民家が残されていました。

 早岐の町に落ち着き、翌週から早岐国民学校に通うことになったのですが、僕は教科書もなく、隣の席の友だちに本を見せてもらいながら授業を受け、帰りに友だちの家に寄り、先生からいただいた一冊のノートに国語の教科書を写し書きして、翌日からの勉強に備えました。

 米空母からの艦載機グラマンの低空飛行による機銃掃射を浴びたりはしました。

 1週間程で夏休みに入りました。夏休みの遊び場は小学校の校庭でした。8月10日か11日の出来事。その校庭の片隅に5、6人の人が横たわっていました。近づいてみると、全身やけどで水ぶくれ、苦しそうでした。長崎原爆の被災者だったのです。

 うめくように「水をくれー、水をたのむ、水、水だ……水、水……」と叫んでいました。僕が水をくみに行こうとしたら、そこにいた大人の人が「今、水をやったら、すぐ死んでしまうぞ」と言ったのです。ここでも僕は右往左往するだけで、わけもわからず大人の言うことに従うだけでした。

 皆さん、亡くなって、僕たちの運動具入れの小さな倉庫が遺体置き場になったのです。

 長崎から80キロメートルくらい離れているこの学校に原爆被災者がどうして来たのか? 後で知った話ですが、当時、長崎浦上駅から避難列車が出ていて、それに乗ってきたらしく、たまたま早岐小学校の近くに止まった列車から、水を飲みたい一心で飛び降りてきたらしいのです。

 終戦はその日から5日後でした。当時は敗戦とは言いませんでした。

 雑音でよく聞き取れないラジオの玉音放送を聞いて、戦争が終わったのだと知りました。「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ……」という天皇の言葉だけが、未だに脳裏に残っています。戦時中は人が人でなくなるのです。人間の心は置き去りにされ、まるで操り人形になるのです。生きるために動いているだけなのです。

 国民学校6年生だった少年も、戦後70年が過ぎ、81歳の後期高齢者になりました。戦争を知らない皆さんに伝えたい、願いたい! もう二度と日本は戦争はしない、戦争に巻き込まれない、火種と思われるものは事前に消す。戦争の犠牲者たちのご冥福を祈りながら……。

次の作文へ >
もくじに戻る >
ホームに戻る >